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孤独との距離のとりかた

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[ ENGLISH ] どこまで孤独と向き合ったらよいのか、考えたことはありますか? 人は、孤独からしか、生み出されないもの、手に入れることのできないものが人生にはたくさんあります。 そうはわかっていても、なんとなく、孤独でいることは悪いことのように思って、とにかく人といるようにしてしまうという方も多いのではないでしょうか。 自分の人生の行き先を考えたり、次に何をしようか目標を決めたりといった選択のとき、そしてその選択を下すために悩んでいるときは、だれかと一緒に考える、ということはできません。孤独でいる必要があります。 もし、だれかと一緒に人生の選択をしたとしたら、その人も私同様に、起きた結果の責任を、私と一緒にとらなければならなくなるからです。 二人で、もしくは複数人で、あなたの人生の責任をとりつづける、なんてことは不可能です。 また、孤独をおそれ、いつもだれかと居ようとしている人たちは、より多く自分の人生の選択を自分ですることを逃し、他者に責任を負わせる行動をしてしまっていると言えます。 その場かぎりや雰囲気、周りの影響で、人生の行き先を決める、ということもできる場合がありますが、それは、100パーセント確実にその結果がうまくいく時だけで、大抵の場合、その集団の雰囲気や周りに流されて決めていくのは危険です。 必要なときには、孤独でいることを恐れず、今は独りでいるとき、独りで決めるときだな、と前向きにとらえてみると良いかもしれません。 思いっきり前向きに孤独と向き合うことができたら、自分主導の人生の選択をしていけるだろうと思います。大事なときに、ちゃんとした決断を、自分のためにナイスタイミングで下せると思います。 しかしながら、社会の中で生きていくためには、完全に孤立していては、うまく回らないということもあります。 そんなときは、いったん孤独でいることはお休みにして、孤独からは距離をおき、次は社会の中、人の中に近づいていくときです。 孤独と向き合う時間、孤独からは距離をとって他者と向き合う時間、今どっちの時間かな、と考えながら過ごすとうまく人生を渡っていくことができるかもしれません。 そのときには、社会の中の一員、そのコミュニティーの一人として、潤滑油をいくつかもっておく必要があります。 たとえば、笑顔、あいさつ。お礼。贈り物。気づかい。やさしい言葉。思いやり。時...

自分が自分でいっぱいになったとき

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  [ ENGLISH ] みなさんは、自分の時間をどれくらいもっていますか? 1日のうち、1年のうち、どれくらいの時間を「自分以外の」のために使っていますか? 心配ごとや悩みがあるとき、自分の心の中は、悩みごとでいっぱいになって、他のことはあまり考えられなくなったりします。悩みごとって、自分の思考が生み出しているものなので 悩んでいる時間は、「自分が作り出すものに苦しめられている時間」とも言えます。 そんな時間が増えると、いつの間にか、自分の時間は、自分が作り出すもの(悩みなど)でいっぱいになってしまいます。 他のことを考える余裕や、他者を思いやったり、相手の立場に立って考える余裕もなくなってしまいます。 そして、余裕なく悩んでいる思考が暴走している自分は、とりあえず「今までどおり」こなさなければならないことを 「事務的に」流れ作業のように義務としてこなしはじめてしまいます。 心をこめて何かをすることができなくなります。 自分の時間がなく、いつも他の人の用事や他の人のためにいろいろやることが多くて忙しいという方でも 頭の中は、意外と、自分の考えや思い、悩みといった自分基点のことでいっぱいだったりする場合もあります。 そんなときは、本当のところは、相手のことを思って、行動してなかったりします。 たとえば、母親が忙しすぎて、子どものためになっているか、子どもの立場からはどう見えているかは構わず、 とりあえず、役割をこなそうとする等はよく起こりがちです。 自分の時間を基点に、何かをやろうとしはじめると、どんなことになるでしょうか。 いろんなことは、本当のところ自分を基点には回っていないはずなので、時間の基点が自分自身になってしまっている人の周りでは次々とひずみが起きはじめてしまう。 そうすると、うまくいかなくなってくるのは当然。 そんなときは、自分が自分でいっぱいいっぱいになってるな、と気づき、 いったん自分自身から離れてみるのはいかがでしょうか。 何か自分が作り出すリズムとはちがう別の時間軸の中に自分を置いてみる方法があります。 たとえば、時間どおりには来ないローカルバスに乗ってみるとか。 いつも明るい都会から離れて、自然のリズムで暗くも明るくもなる田舎に行ってみるとか。 全然興味がなかった催しに参加してみる。普段自分では選んで行かない喫茶店に行ってみるとか。...

愛情の受け取り方について考える

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[  ENGLISH  ] お菓子情報は、このブログの最後で。 愛情の受け取り方 Youtube動画はこちらをクリック みなさん、「愛情」をどうやって受け取ったらいいのか?について考えたことはありますか? 私は、人からの好意や親切に、何か目的や裏の画策があるんじゃないか?とすぐに反射的に考えてしまいます。 たとえば、私を助けて優越感に浸りたいだけなんじゃないだろうか?この人はなにか私から欲しいものがあって、後から押し付けがましく見返りを求めてくるのではないか?などと考えてしまうくせがあります。 そんな自分に疲れたので、そろそろ「愛情」をどうやって受け取ったらいいのか、について考えてみたいと思います。 ちなみに、ここでいう「愛情」とは、恋人同志の愛だけではなく、親からの愛や、友人、知人、身の回りの人、たまたま道で親切にしてもらった人、いろんな人から自分に向けてもらった良い感情、たとえば親切や礼節なども含んでいます。 そもそも、なぜ、こんなに考えるようになってしまったのか? 私たちは、日々、自分のすでに持っているもの、自分にすでにあるものを、足りないと思うように社会に設定されていっているように思います。 いつも目にする広告やCM、営業トーク、新製品の紹介は、いつも私たちが今持っているものが古く、そして不十分であることを自覚させます。 もっと良いもの、もっと新しく価値あると知らせ、 古いものを手放すように促します。 物質的に豊かで、多くのものが貨幣により流通する中で、より良いものを欲するように、私たちは仕組みづくられていきます。 多すぎる広告やあふれかえった製品の売り込みに慣れきって、常により良いものがあるのではないか?と思うようになった私たちは、時に、それらを得ることができないことを悩み、まだまだ登場するであろう良いもの、必要なはずのものを手に入れつづけられるだろうか?と将来を不安に思うようになります。 そしてそのような考えは、目に見える製品やサービスといった物質だけではなく、感情や人の動きにまで適用されていきます。 今までは小さな集団(家族、地域といった)だけで生きていたのが、より人口が多く国際化された社会となり、より学校もつながりが増え、働く場所も小さな商店からより大きなスーパーに、そして企業も巨大化していきました。 このように集団が大きくなってい...